ネット集客の新アイデア

ショスタコーヴィチの交響曲第9番は最初から最後まで音楽に勢いがあり、生命力があった。軽やかな第1楽章はシナイスキーにぴったり。第2楽章と第3楽章、第4楽章では、新日本フィルの優れた木管奏者たち、クラリネット(マルコス・ペレス・ミランダ)、フルート(荒川洋)、ファゴット(河村幹子)、オーボエ(金子亜未)の名演を引き出す。オーケストラとのバランスが良いのでソロも引き立つ。各奏者が乗って吹いているのが感じられる。

第3楽章スケルツォは冒頭の難しいクラリネット・ソロが名演で、その乗りの良さがトランペット(服部孝也)のソロに伝搬、ついでオーケストラ全般に良い影響を与えるという理想的な循環が実現した。第4楽章でのファゴットのソロと、続く金管のファンファーレも素晴らしかった。好調なファゴットがそのまま第5楽章の冒頭の主題を吹き始め、オーケストラも後半のテンポを上げ、全員が集中し、盛り上がっていく。鮮やかなコーダ。もう言うことなしの名演だ。

後半のチャイコフスキーの交響曲第5番が楽しみになったが、その期待は十二分に満たされた。テンポは速め。チャイコフスキーとは思えないくらい明るい音色。しかし、各パートのバランスが自然で無理がない。どの奏者も肩に力が入らず、余裕を持って演奏をしている。ホルンの吉永雅人があれほど楽々と気持ちよさそうに第2楽章冒頭のソロを吹くのを見るのは初めてではないだろうか。ただ気持ちが良すぎたのか、オーボエとの掛け合いで一瞬乱れたのはほほえましかったが。

札幌のネット集客方法

は、最も心豊かになる楽しく聴けたコンサートだった。演奏後の楽員の充実した表情を見るのも久しぶりだ。シナイスキーはロシア出身。名匠イリヤ・ムーシンに師事、1973年カラヤンコンクールで小泉和裕と優勝を分け合った。モスクワ・フィルやボリショイ劇場の音楽監督を歴任。日本ではこれまで読響、N響、東響を指揮したことがある。

シナイスキーの優れた点は、まず人間性。人柄の温かさ。楽員を威圧せず、支配しない。それはステージに登場するときの雰囲気、楽員を称賛するときの笑顔から感じた。
第2に、楽員の演奏しやすい環境づくり、すなわち各パートやソロとオーケストラのバランスを最上の状態に保つことに長けている。

第3に、これが最も大切だが、「音楽性」がとびぬけている。音楽がシナイスキーの内側から絶え間なくあふれ出てきて、常に生き生きとしている。誇張や手前勝手な解釈とは無縁の、音楽の自然さ、淀みや濁りのないハーモニーと流れの良さがある。ダイナミックバランスのコントロールの見事さ。音楽の色彩感や音色が豊富。指示が明解で、筋が通っていること。こうした指揮者に必要とされる美点を数多く持っているのが強みだ。

第4に、音楽が明るいこと。生きる喜びに満ちている。それはシナイスキーの人間性の反映かもしれないし、彼の音楽観からきているのかもしれない。これは時に短所にもなるかもしれない。特に今日のプログラム、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキーでは、暗い、悲しい、感傷的などといった一般のイメージとは違う演奏になっていた。しかし、私はこれまで述べたシナイスキーの長所を声を大にして訴えたい。

良い印鑑屋見つけた!

世の中は、トランプゲームにある大富豪とほぼ同じ。
世の中が資本主義であると同時に、大富豪も資本主義ゲームになっている。
大富豪のルールは、前の人間が出したカードより大きい数を出していき、早くなくなった者が勝ちというゲーム。3が一番弱く、2が一番強い。
階段というコンボもある。
同じ並びマークの数字も出せる。
ローカルルールはいろいろある。

また同じ数が2枚以上あったら、まとめて出せる。
最下位の人間は、大富豪に自分の手札の中にある強いカードを2枚渡さなきゃいけない。
ブービーと2着の間でも同じように1枚ずつ交換しなきゃいけない。なかなか下からは這い上がれない。
ビリはどんどん落ちていき、大富豪はますます安泰。
まさに資本主義という世の中と同じだ。

貧乏はどんどん貧乏になり、金持ちはますます金持ち。
上がるのは非常に難しい、てゆうかほとんど不可能だけど、落ちるのは簡単。
さらに大富豪のゲームで面白いのは、本物の金持ちには大富豪になれるカードがきて、貧乏人にはそれに見あったカードがくるようだ。
大富豪には、大富豪の生き方と考え方が表れ、貧乏には貧乏の生き方と考え方が表れるようだ。

金持ちであるにも関わらず、大富豪のゲームに負けるのは、見栄っ張りで浮き沈みが激しい人生を送っている人のようだ。お金持ちは総体的な意味で金持ちで、貧乏は相対的な意味で貧乏らしい。
挙げるといっぱい出てくるけど。